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zoom RSS フォート・リーの名前の由来:アメリカ独立戦争時の砦

<<   作成日時 : 2008/08/16 23:40   >>

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私の住む町フォート・リー(Fort Lee)はニューヨークからハドソン川をはさんだ向かい側にある町ですが、その名の通りリー砦(Fort Lee)ちゅうのがあったらしいです。

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始まったばかりの独立戦争を戦っているジョージ・ワシントンにとっての問題は、数の上でも経験でも劣る大陸軍(アメリカ軍)をどうやって生き残らせるかでした。ワシントンは、ボストンを取り返して、イギリス軍をカナダに追いやりましたが、イギリスは次に南下してきてニューヨークを狙ってくると予想したそうです。なぜかというとハドソン川の河口に位置するニューヨークを抑えると州都アルバニーやカナダのモントリオールまでつながる交通路を取られてしまうし、ニューヨーク以北と以南で独立宣言した13州が分断されてしまうから。


フィラデルフィアでの第2次大陸会議独立宣言(7月4日)があったすぐあとの1776年7月12日、イギリス海軍の提督、リチャード・ハウが送った軍艦2隻がハドソン川を上ってきたとき、ニューヨークを守るために作られたマンハッタン北部の砦、フォート・ワシントンから大砲を打ったのに見事に抜けられてしまったことにいらだったワシントンが、ニュージャージー側にも砦を作って守りを固めようと作り始めさせたのが、現在のフォートリーのFort Constitution(憲法砦?)でした。




場所はフォートリーの西側のハドソン川沿い、ジョージワシントンブリッジのすぐ下あたり。


ジョージワシントンブリッジ
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今ではハドソン川を見下ろす絶壁にフォート・リー・ヒストリック・パーク(Fort Lee Historic Park)というのがあって、再建された砲台や建物なんか建っています。砦の建物は函館に五稜郭というのがありますが、四稜郭ともいうべきbastion(稜堡:城壁の角から飛び出す形に作られた陣地で、火器による死角のない攻撃を目的としたもの)が四つあるものだったそうです。今はハドソン川側の見晴らせるところに砲台や当時の建物を模したものが建てられています。
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この砲台のあるあたりから、ジョージ・ワシントンがニューヨーク側にあったフォート・ワシントンのアメリカ大陸軍の旗が降ろされ陥落するのを見たそうです。

この辺は自然が守られていて、なんとこの日は鹿の親子を見ました。
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砦の本部というか、城郭部分はフォートリーのParker Avenue and Cedar, English, and Federspiel Streetsに囲まれたところにこのメインの砦があったようです。フォート・リー・ヒストリック・パークのちらしとグーグルの地図をサイズをあわせて回転させて合成するとこんな感じです。私も暇ですね(汗)。

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今この辺に行っても、普通に家が建っているだけで砦の跡は残っていません。
230年前ですからね。

1776年にあったことをまとめると
7月6日 アメリカ 独立宣言

8月22日 イギリス軍がロング・アイランドロングアイランドアイスティーも同じロングアイランドらしい)に上陸
9月 イギリス軍、フォート・ワシントン以外のニューヨークを制圧
10月 現在のフォートリーにあった砦、Fort Constitutionの名前をFort Leeに変更。

名前の変更はチャールズ・リー少将(Major General Charles Lee)がその夏のノース・カロライナ州チャールストン(南部で最も重要な港だった)での勝利をたたえるため。

チャールズ・リー(1732-1782)
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なんか軍人にしては、イギリス出身なだけにアフタヌーンティーを楽しんでそうな、なよなよした容貌ですね。

しかしこのリー少佐というのは、ちょっと曲者というか、イギリスとフランスがアメリカで植民地支配をめぐって戦ったフレンチ・インディアン戦争でイギリス軍人として戦っかったりと経験豊富で自分が大陸軍の最高司令官に指名されると思っていたのに、ジョージ・ワシントンに取られたので大陸会議にワシントンを降ろして自分を最高司令官にしろと言ったり、上官のワシントンにたて突いたりと、いろいろと問題があったみたいです。それにチャールストンを救ったとは言っても、3月にリーが行く前からチャールストン湾のサリバン島(Sullivan’s Island)で守っていたウィリアム・モルトリー(William Moultrie)に一度はその砦(椰子の木で作ったものだったらしいです)の守りを諦めて撤退するようにアドバイスしたりしていて、チャールストンでの勝利の功績はリーよりもモルトリーのほうにあるとも言われているそうです。

そもそもリーはイギリス生まれだったし、性格的にも変わり者だったので、ワシントンも扱いにくかったんじゃないかと思います。これは推測ですが、砦の名前を変えたのは、そんなリーを引き立てて認めているぞと勲章的な意味があったワシントンの演出だったのではないかと思います。

ちなみにリーという軍人といえば、ロバート E.リー(1807-1870)というのがいましたが、この人は南北戦争(1861年-1865年)のときの南軍の将軍でした。もっと威厳があって、尊敬されていた感じがこの肖像画からしのばれます。
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11月16日
フォート・ワシントン陥落、大陸軍3000人が捕虜に。

ジョージワシントンはフォート・リーの見晴台から、フォート・ワシントンの独立軍が降伏して砦を取られるのを見て、フォート・リーは軍事的にあまり役に立たなくなったことを悟り、ワシントンはニュージャージー州都トレントンやフィラデルフィアへ向けてさらに南に撤退する準備を進めました。

11月20日
イギリス軍コーンウォリス中将Lieutenant General Cornwallis)がフォートリーの5マイル北のクロスターから5000人を引きつれ上陸し、フォートリーへと向かいました。上陸のしらせを聞いたワシントンは大陸軍を大至急南へ向けて撤退させました。急に行かなければ行けなくなったので、多くの弾薬や備品を置いていかなければなくなったようです。そしてコーンウォリスらイギリス軍が着いたときにはものが散らばっていても、誰も残っていなかったとか。

というわけで、フォートリーの町にあった砦のフォートリーは結局大して使われることなく、捨てられました。とまあぱっとしない感じですが、ジョージ・ワシントンが通って行ったということで結構地元ではそれを大切に思っているみたいです。まあジョージワシントンは初代ということもあり、たいていいつも一番人気の大統領ですから。

チャールズ・リー
http://www.famousamericans.net/charleslee/

フォートリー歴史公園
http://www.njpalisades.org/flhp.htm

フォートリーの独立戦争
http://www.revolutionaryday.com/usroute9w/ftlee/default.htm

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